『安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方』

山岸俊男『安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方』中央公論新社, 1999年.

【要約】
これまでの日本社会は信頼をあまり必要としない社会だった。この社会では、関係の安定性がその中で暮らす人々に「安心」を提供しており、わざわざ相手が信頼できる人間かどうかを考慮する必要性が小さかった。この社会では、安定した集団や関係の内部で社会的不確実性を小さくすることによって、お互いに安心していられる場所を提供していた。そこで人々が安心していられたのは、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の人間性を信頼できたからではなく、集団や関係の安定性がその内部での勝手な行動をコントロールする作用を持っていたからである。
このように、人々の行動を安定した集団や関係内部に固定すれば、社会的不確実性を低下させることができる。しかし、そのためには巨大なコストを支払わなければならない。安心を生み出す集団主義的な行動原理は、集団の枠を超えて人々を広く結びつけるのに必要な一般的信頼を育成するための土壌を破壊してしまうのである。
安定した集団や関係の内部では、すでに知っている相手が自分に対してどのような感情や態度を持っているかという相手と自分との関係性についての知識にもとづいて、相手が自分に対してどのような行動をとるかを予想することができる。そのため、その関係内部では社会的不確実性を減らすことができる。
しかし、相手が何者なのか分からない状態では、相手と自分との関係の性質を利用することによって、相手の行動を予測することができず、相手が信頼できるかどうかということを考えなければならない。
これまで日本社会では、コミットメント関係の内部で情報を共有しながら外部に対しては情報を漏らさないというやり方で関係を安定させ、その内部で社会
的不確実性を減少させてきた。しかし、社会的不確実性問題が情報の非対称性に由来していることから考えると、情報の透明性あるいは情報開示が、社会的不確実性問題の解決の正道だということになる。ところが、この正道には大きな障害が置かれている。それは、情報を持っている人間にとっては、持たない人間に対して進んで自分の情報を開示するための誘因が存在しないということである。したがって、今後は情報を持つものが自ら進んで情報を開示したくなるような仕組みをどのように生み出し、維持していくかを議論していく必要がある。

慶應義塾大学総合政策学部 川村真哉