『感染地図ー歴史を変えた未知の病原体』

Johnson,Steven,THE GHOST MAP:The Story of London’s Most Terrifying Epidemic-and How It Changed Science,Cities,and the Modern World, Riverhaed Books, 2006.(邦訳:矢野真千子『感染地図ー歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社,2007年.)

【要約】
コレラの感染ルートについては、1848年の時点で、大きく伝染説と瘴気説の2つの陣営に分かれていた。
伝染説は人を介してうつるという概念で、瘴気説は病毒を含んだ悪臭によってうつるという概念だった。
医師のスノーは早い段階コレラは空気ともに吸い込んでうつる病気ではなく、水などを飲み込むことによってうつる病気だということに気がついていた。
スノーは井戸水とコレラの因果関係を証明するための証拠を固めることに奔走した。特に、瘴気説論者の井戸周辺に毒気がたまっているという主張を覆すために、瘴気説で考えれば確実に死者が出るはずの場所で生存者を見つけ出し、瘴気説では生存しているはずの地域で死者を見つけ出すことに注力した。
スノーは事例を特定するために、人々の都市生活パターンを徹底的に観察した。彼は人々が集中しているにもかかわらず死者数が少ないエリアには、水の代わりにビールを飲む醸造所が存在し、そもそも井戸水を利用していない施設が存在することを特定した。さらに彼は、見た目も良く臭いもない井戸水を持ち帰ってまで利用する人々が存在することも特定した。
ただし、こうした事例が存在するにも関わらずスノーの主張に疑問を抱く者も多かった。その内の一人が教会の副牧師のホワイトヘッドである。彼は井戸水を大量に飲んだにも関わらず生存している人々の存在を確認しており、スノーの主張する飲料水媒介説に疑念を持っていた。
ホワイトヘッドは自らの聞き取り調査の中で井戸水の中の細菌がある日まで急激に増加し、その後その細菌が死滅したと思われるような事例を特定していたが、それでもホワイトヘッドはスノーの主張にはまだ納得していなかった。なぜなら、スノーの主張ではそもそもなぜ井戸水の中に細菌が入り込んだのかということを説明できなかったからだ。
しかし、井戸水に細菌が入り込んだ原因については、ホワイトヘッド自身の聞き取り調査によって明らかになった。具体的には、ごく弱いコレラに感染した赤ん坊の汚れたおしめをその母親がバケツの水で洗い、その水を家の正面側の地下にある汚水溜めに捨てたことがきっかけとなり、その汚水溜めから漏れ出した水が井戸にまで浸食することによって井戸の中でコレラ菌が急激に繁殖し、この井戸水を飲んだ人々が次々に亡くなっていくことになったのである。
こうして感染症の発生後からスノー医師が主張していたコレラの感染ルートとして飲料水媒介説の正しさが証明され、この説に当初は反対していたホワイトヘッド副牧師もスノーの主張に反論するための証拠を収集している過程で自らの主張の過ちに気がつき、スノーの主張の正しさを証明するために一役買うことになった。
この結果、コレラ菌の発生源となっていた井戸水を汲み取るためのポンプの柄が取り外される決定が下された。
こうしてコレラの猛威はおさまったが、スノー医師の主張は公衆衛生局やコレラ調査委員会に完全に支持されることはなかった。彼らは自らが支持する瘴気説にこだわり、スノー医師、さらにはホワイトヘッド副牧師が証明した飲料水媒介説に聞く耳を持たなかったのである。

慶應義塾大学政策・メディア研究科