『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

Weber, Max. Die Protestantische Ethik und der "Geist" des Kapitalismus, Tübingen:J.C.B.Mohr, 1920.(邦訳:大塚久雄プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波書店,1989年.)

【要約】
プロテスタントの多い地域では、他の地域と比較して合理的資本主義が飛躍的に発展しているという事実がある。
もっとも、資本主義の考え方自体は中国においてもイスラム社会においても発達していた。しかし、プロテスタントの多い地域で発達した合理的資本主義は、それ以前の資本主義とは明らかに異なるものだった。
そもそも、プロテスタント(特にピューリタン)は金銭を得るために働き、それを贅沢に使う人々を敵視していた。
しかし、ピューリタンは自分の職業は神から与えられた天職であり、その天職に禁欲的に従事することが神の栄光を増す行為だと考えていた。
また、プロテスタント(特にカルヴァン派)は神が予め救済する者とそうでない者を宣言していると考える。したがって、人々が現世でどうような行為をしようとも神の予言がくつがえることはないと考えている。
しかし、これでは人々は自分が神によって救済されるのかどうかということがわからない。そこで、カルヴァン派では神に救済される者は、神の意思にかなう行為をしているはずだと考え、神の栄光を増すために禁欲的に天職に従事している者が神の救済を受けることができると考えた。つまり、職業的な成功は神の救済を受けることができる証明になるものだと考えたのである。そこで、プロテスタントは神の意思に反する金銭の贅沢な消費を慎み、禁欲的に天職に従事し、そこで得た金銭は自分の仕事を拡大するために再び事業に投資することを繰り返した。こうした行為の結果、プロテスタントの多い地域では、合理的な資本主義が発達したという側面がある。
プロテスタンティズムが直接的に合理的資本主義を発展させたということはできない。なぜなら、合理的な資本主義は多方面から様々な影響を受けることによって成長したと考えられるからである。しかしながら、合理的資本主義がプロテスタンティズムと親和性が高かったということははっきりと言うことができる。

慶應義塾大学総合政策学部 川村真哉